中国の食(医食同源)をみる 中国五千年黎明期の人物 
        
        (朝日新聞 平成16年2月・9月より)  新聞特集・詳解を一覧で整理しています

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食で読む中国(以食為天) 伝説時代・春秋時代の人物
政治舞台を彩る宴席料理
  西太后・周恩来のメニュー
北京の料理店は多彩
 . 中国の四大料理
苦難の時代の食
  ケ小平・医食同源
 . BC5000年〜BC403年
 儒教理想君主・尭 創始・孔子
 兵法・孫武 春秋五覇・英傑達 ほか
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  食で読む中国(以食為天)  (朝日新聞H16年 2月・9月) 
漢方思想「医食同源」が浸透   
■政治舞台を彩る宴席料理 : 中国の迎賓館として北京にある「釣魚台国賓館」が、1959年建国10周年に天安門広場の西にある人民大会堂などとともに決った ・ これらの前は北京飯店が迎賓館として使われていた ・ 北京飯店での料理にはよく江蘇料理が出されたがそのメニューは江蘇省出身の周恩来首相が決めていた    
  人民大会堂に料理の絵・・・・・・ 人民大会堂の内部には、台湾・香港・マカオと中国大陸の31の省・自治区・直轄市の名称の部屋がある
小平は出身地ではないが「福建の間」がお気に入りで、この部屋には烏龍茶の特産地の絵が描かれていた 
  国宴には各種の料理が並ぶ・・ 中国の各種系統の料理の長所が披露される ・ 西洋料理・日本料理の要素も加えられたり、チベット高原の冬虫夏草、内モンゴルのらくだのコブ、南シナ海のフカヒレ、タイのつばめの巣などの珍味が出てくる ・ 日本の牛肉なども蓄えられている   
  人民大会堂近くの大飯店・・・・・ 人民大会堂の近くにオープンした釣魚台大飯店で、酸辣烏魚蛋湯(イカの卵のスープ)、砂鍋獅子頭(肉団子の土鍋煮)などの名物料理が気軽に味わえる   
  西太后の列車は厨房列車・・・・ 西太后は二人の皇帝の摂政として権威をふるった ・ 外交官であった父親の任地フランスで教育を受け、米国人と結婚し、清朝では珍しい近代的な女性 ・ 16両の黄金列車のうち4両が厨房にあてられ、かまどが90台、上席次席あわせて100人の料理人が従事した ・ 彼女の好物はアヒルや鶏、ブタ、羊などの肉料理で、ナマコなどの海鮮類、魚料理は苦手だった       
   
■北京の料理店は多彩 : 改革開放政策以降北京では、世界の料理そして中国各地の料理が食べられるようになった     
  連日満員の北朝鮮料理店・・・・ 北京市朝陽区の「ヘダンファ平壌冷麺館」は収容来客人数100人の大きな館で毎日満席 ・ 北朝鮮政府が実質的に経営する店 ・ 本国からやってきた女性服務員が注文接待から歌・オルガンなどを披露する ・ 客の6〜7割は韓国人 ・ マイクを手に客席を回って盛り上げる「同胞の皆様、南の皆様、おあいできてうれしい・・・」と話す ・ 歌い終わる度に「カムサハニムダ(有難うございます)」と彼女たちはいう      
  日本の料理店も多い・・・・・・・・ 日本料理店も400〜500軒もある ・ それに劣らず多いのが韓国の焼き肉料理店    
  イスラム教徒に人気・・・・・・・・・ 底冷えする北京の冬の名物料りといえば、薄切り羊肉を使うしゃぶしゃぶ料理 ・ 北京には意外と多くのイスラム教徒が住んでいる ・ 彼らは宗教上のタブーで豚肉を食べず、羊肉が清真(チンチェン)料理がよく食べるもののひとつである ・ 北京の浅草といわれる前門(チェンメン)にその店は多い ・ その名店というと「東来順(トウライシュン)」で「百年老店(老舗のこと)」である 
  清朝時代からの店・現代の店・・ 靴・帽子・お茶など並ぶ清朝時代創業のお店、北京ダックのお店 ・ 80年代後半から並びだした米国のファーストフードの店、ケンタッキーフライドチキンが1000店まで「連鎖店化」した ・ 100年の歴史の東来順なども100店までの「連鎖店化」した  
  宮廷料理のお店・・・・・・・・・・・・ 80年代半ばに経済自由化で個人経営のお店が公認されて間もなく、北京にできた宮廷料理を食べさせるお店「脂ニ菜(リーチャツァイ)」・昨年六本木に分店が出店した ・ 北京燻肉製(豚の薫製肉)・麻豆腐(緑豆で作った宮廷料理)・ 炸藕盒 (レンコンの揚げ物)などが前菜小皿で出てくる ・ しかしこのようなちょっとした北京の老料理は残念ながら少なくなっている          
   
■中国の四大料理 : 中国料理は大凡4つに分けられます ・ 四川料理(香辛料を使ってとても辛い・湿気が強い地域なので辛い) ・ 広東料理(高級海鮮料理であり、ゲテモノがあることでも有名) ・ 上海料理(江南地方の料理で、蘇州料理・揚州料理・無錫料理・杭州料理・寧波料理・紹興料理・江西料理などに分類される・あんかけのような濃厚な味付けが特徴) ・ もうひとつは北京料理であるが、山東料理を土台にして発展してきた     
山東料理(北京料理の祖)・・・・・・・ 山東省は面積が広くその中にも多種ある、済南料理(脂っこい味付けの豚の内臓料理・淡水魚料理などが有名)、海鮮料理(火をとおした魚介類が多い・有名なのがナマコのネギ炒め・イセエビの刺し身)、孔府料理(孔子一族発生で清の時代に北京に伝わり公定料理の一部になった)     
  山東の地方料理にサソリ・・・・・・ 山東料理の名店として名高い「豊沢園」は70年の歴史 ・ この店でさそりなどが出てくる ・ 北京銀座の玉府井かいわいに東華門美食坊夜市、玉府井小喫街という夜店が集まる一角がある ・ ここで大騒ぎをするのが、昆虫や小動物の串あげのコーナー、バッタ・コオロギ・ゴキブリ・タツノオトシゴ・ヒトデ・サソリなどなど ・ サソリなどはまだもぞもぞと動いている     
  山東料理の仕入先が日本・・・・ 山東料理の名店「豊沢園」は山東人の料理人を集めて評判を高めた ・ 北京の料理人は明朝以来、山東の料理人が多い ・ 「豊沢園」の代表料理に葱焼海参(ナマコのネギによる風味煮) ・ ナマコは山東半島の先端にある煙台や威海あたりでとれる ・ ところが極上のナマコ・アワビなどは日本からの輸入      
広東の高級料理が幻に・・・・・・・・・ 上品な広東料理として親しまれた野味(野鳥や野獣、犬、蛇など)があり、、なかでもハクビシン(尾が長く、四肢は短いジャコウネコ)が高級料理とされてきた ・ しかしこれが2004年冬広東震源地として大流行したSARSの悪役になった ・ 2005年の冬も野生動物市場は直ちに閉鎖され、レストランも陸野生動物の調理も禁止された ・ 2004年の中国の観光収入は13%減少した  
  長期バーター貿易時代の話・・ 国交正常化以前の中国との国交(長期バーター貿易)の交渉で望んだ高崎達之助氏は周恩来首相よりの選び抜かれた広東料理に「果子狸(クォツリー):ハクビシン」が出され、土産にも貰ったが、動物好きの高崎氏は加須区々で世話し、氏の他界後多摩動物園へ寄贈された 
  周恩来・金日成との逸話・・・・・ 広東の野味では「狗(イヌ)肉」も忘れられない ・ 中国では「医食同源」(病気の治療も毎日の食事も健康を守るにおいては同じとの考え方)の漢方思想が浸透している ・ 狗肉は強壮食品として知られる ・ 両首脳での主の料理には「全狗席」という狗肉のフルコースが供されたという ・ 土鍋にして香料と野菜とで煮込むのであるがどれは広東だけでなく朝鮮族の多い東北地方にも多数の店がある
  フカヒレの歴史は浅い・・・・・・・・ 「中華料理の文化史」(ちくま書房・張競明治大学教授著)によると、フカヒレの歴史は浅く400年程度 ・ しかも初めは南中国の沿岸部分だけに限られていた  
上海烏江のナマズは長寿の魚・・・ 長江(揚子江)の数多い支流のひとつ烏江とれるナマズの鍋料理がある ・ 「鮎」は中国ではナマズのことだが「鮎」のことをニエンと発音する ・ 「年」も同じ発音であり、それで長命長寿との意味で目出度い魚になっている ・ 司馬遼太郎「街道をゆく」で江南地方を歩いてのなかで、「鮎」は日本ではアユと文字が誤ってやってきてしまったと考察    
その他の各種料理から・・・・・・・・・・    
  春節のギョーザは庶民の味・・・ 正月は旧暦の正月(春節)が賑わう・2005年は1月の22日であった ・ 日本の正月は餅であるが、中国は南方では年羹(ニエンカオ)、北方ではギョーザであろう ・ 大晦日の夜に一家総出でギョーザをつくる ・ ギョーザをつくることを中国語で「包(パオ)」という・一枚一枚の皮で具を包つむからであろう ・ 今年大晦日(1月21日)、温首相は立ち寄った農家で「ギョーザを食べられたか?」と声をかけていた ・ ギョーザを食べられることは庶民にとって最低限の幸せ   
         
苦難の時代と食 :    
   地域格差と食料切符・・・・・・・ 中国は去年、一人当たりのGDPが1000ドルの大台に乗った ・ 上海は5600ドルと突出して豊か ・ でも400〜500ドル程度で低迷する地域も多い ・ 中国は平均値では捉え切れない国 ・ その上海でも昔からの食料切符なるものが残っていた ・ 巨大人口を抱える中国の食料事情は基本的に難しく80年代なかばまで食料の生産分配は切符などにより統制されていた   
   ケ小平「健康の道」より・・・・・・ ケ小平は「三起三落」と形容されるように失脚と復活を三度繰返した ・ 60年代の中場、ケ小平は農機具工場で軟禁状態であったころ、自分で菜園して青菜・唐辛子・南瓜(なんきん)・糸瓜(ヘチマ)・胡瓜(キュウリ)・苦売りニガウリ)などを作り食べていた ・ 「健康の道」によれば、野菜中心で瓜を多食するケ家の献立は、4000年の人体実験に基づく漢方医学の「医食同源」の発想にかなっていた ・ 北京のフートンを歩くと糸瓜をつるす光景にでくわす    
     2000年前から夏瓜注目・・ 72年に湖南省から地方王族夫人のミイラが発見されたが、その胃袋から瓜がみつかった ・ はるか2000年以上昔に「夏瓜は体に良いと」定着していたのかもしれない    
     冬にも瓜で健康維持・・・・・ 夏の瓜といえば冬瓜(とうがん)も忘れられない ・ 台所の隅に転がしておいたもの ・ 広東に冬瓜チョン(トンクァチョン)という名物料理がある ・ 実を横に半分に割って、角切りの果肉・山海の幸を加えて長時間蒸す ・ 滋味豊富なスープ料理   
       
■中華料理リンク集 :    
中国関連の総合サイト・・・・・・・・・・ 中国の料理まるごと百科事典 ・ 中国関連のブログ集(情報交換サイト) ・ 中国関連の基礎知識 ・ 中国関連便利情報   
中国料理のサイト・・・・・・・・・・・・・・ 日本と中国の中華料理の比較  ・ 中華料理を知る  ・ 四大料理とは ・ 家庭でできる本格中華料理 ・ 中華料理の系統分類 ・ 中華料理でのマナー     
        
   
   
   中国五千年 (人物)  (PHP研究所出版「中国五千年」より)   
    今回の特集は紀元前400年まで : 次回の特集に継続します
■先史時代〜周の時代 :
BC5000年〜BC2000年・・・・・・・ 黄河文明期 : 旧石器から新石器の時代 ・ 黄河の治水に成功
中国人は黄河のことを「母なる大河」と呼んできた ・ この流域で早くから文明が開いた 美しい幾何学模様の彩紋土器を特色とする仰韶(ぎょうしょう)文化 ・ つづいて黒陶土器の龍山文化が起こっている ・ これらの時代は伝説の先史時代である  
    文明期の人物・・・・・・・・・・・・ 「神農」 ・ 「黄帝」 ・ 儒家が描く理想の君主「尭」   
BC2205年〜BC1122年・・・・・・・ 夏・殷の時代 : 夏王朝の最後の皇帝 桀(けつ)王は暴君で、殷(いん)の湯(とう)王によって追放された ・ 殷族は黄河の中流域と河南省あたりを本拠としていた ・ これまた最後の王が暴君で周の武(ぶ)王によって亡ぼされた ・ 周族は今の西安よりももっと西にいた部族である  
    夏・殷の時代の人物・・・・・・・ 名補佐役・伊尹と皋    
BC1050年〜BC770年・・・・・・・・ 周の時代 : 周ははじめ西安あたりに都をおき二百数十年にわたり存続したが、12代目の幽王のときに失政も重なって西の方からの異民族の攻撃を受けた ・ その後の平(へい)王はやむなく東の洛陽に都を移した ・ これまでを西周、この後を東周と呼ぶ
    西周の時代の人物・・・・・・・・ 周王朝の創業者「太公望」    
BC770年〜BC403年・・・・・・・・・ 東周(春秋)の時代 : 東周を春秋時代という呼び方にしたのは孔子とされる ・ 晋という大国を韓・魏・趙の3人の家老職が分割独立してからBC403年まで三百数十年にわたり続いた ・ 春秋時代には正義のための戦いはなく、小さな諸侯がつぶれ生き残った諸侯によるまさに「仁義なき戦い」があった 戦いが二百年余続き疲れ果てた諸国に代わって江南地方に二つの新興国(呉と越)が生まれ名ドラマを生んだ ・ その頃に政治を立て直そうと悪戦苦闘したのが孔子である  
    東周の時代の人物・・・・・・・・ 春秋五覇の栄光 ・ 春秋の英傑たち ・ 周公を理想とした儒学の始祖「孔子」 ・ 中国流兵法の元祖「孫武」 ・ 「孫子」 
  その他リンク集・・・・・・・・・・・・・ 中国の兵法 ・ 呉越同舟とは