中国歴史温存への宝物事情 中国五千年・大統一時代の人物    
        
        (日本経済新聞 2004年9月17日〜28日より) 特集・詳解を一覧で整理

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中国のお宝物 歴史文物 大統一時代の人物
お宝さがし発掘が盛ん
中国全土の地図
国と地方の文物収集
 . 中国最古の王朝は?
  夏・商・周の時代
故宮再生に向け大改修
 . BC403〜BC221
  呉起・秦の始皇帝ほか
  孟子・荘子・墨テキ・荀子ほか
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  中国のお宝物 歴史文物    (朝日新聞2004年9月より)  
■宝物さがし発掘作業がが盛ん :    
中国人が理想とした生き方・・・ 「蘇州(蘇州か杭州)に住み、北亡に眠る」・「天に楽園あれば、地に蘇州・杭州あり」と詠われる景勝地 ・ 北亡は古都洛陽の北に走る丘陵地帯で、中国の歴史のふるさと ・ 皇帝から豪族までの古い墓が数い切れない    
  中国の地図・・・・・・・・・・・・・


  中国まるごと百科事典
敦煌旅行より
古墳の盗掘盛ん・厳罰あるも・・ 「金を欲しけりゃ、墓を掘れ。一夜で万元戸さ」といわれるほどに、地元の農民による墓の盗掘が盛ん ・ 貴重な発掘も生れている ・ 墓とおぼしきところに家を建て、家の中からほりすすんだ ・ 青銅器や玉器など200店盗んだ例もある ・ 1年前主犯者2名に死刑執行がなされ、現在は監視がきつくなっている  
    盗掘品の密輸・・・・・・・・ 市場経済開放後、盗掘が増え最近数年間で10万件を超えた ・ 被害にあった古墳は20万ヶ所にのぼる ・ 大半は海外へと流れ「文物輸出大国」と揶揄される  
    発見申告者には謝礼・・ 家建設時に発見し申告した者に2万元(1元は約14円)など、政府もいろいろと対応し盗掘を防いでいる   
    兵馬俑も農民が発見・・・ 兵馬俑(へいばよう)は兵士や騎馬将軍をかたどった俑(死者とともに埋葬した人形) ・ 1974年に発掘された中国の秦(しん)の始皇帝陵のが有名であるが、これも農民の手で発見されたもの   
史上最大規模の発掘始まる・・ 殷墟(北京の南南西)の遺跡で2003年春から大規模な発掘作業が始まった ・ 5000人の人がローラー作戦で掘り進んでいる ・ 商時代(BC1300〜BC1046)の屋敷跡や200ヶ所の墓地などが発見された ・ 殷墟は近代考古学誕生の地
   建設工事進みピンチへ・・ 今や中国全土が建設でコンクリート工事が進んでおり、考古学関係者も日本より少なく、発掘が間に合わない憂慮する事態 ・ インフラの整備は遺跡の破壊につながるが、一方重大発見のチャンスも提供してくれている ・ 考古学者は悲喜こもごも、建設の行方をみつめている  
発掘の許可の下りない例・・・・・ 西安の西北西にある乾陵で、発掘作業の申請が60年以来5度もなされたが何れもNO ・ 中国一の女帝とされる則天皇后の合葬墓なるが、掘り出すと炭化などして保存が難しく、過去の失敗例も多いため、GOサインは出ない ・ 西安には「定陵」(次記)の陸墓がいくつもあるがその発掘は許可されていない     
   北京明十三陵での失敗・・ 北京の中心から北西へ約50kmの天寿山南麓に広がるのが「明の十三陵」 ・ そこには15世紀初頭の明朝の13人の陵墓が散在してる ・ 現在一般公開されているのは「永楽帝」の陵墓である「長陵」・隆慶帝の陵墓「昭陵」・14代皇帝である「万歴帝」の陵墓「定陵」の3つ ・ それらの陸墓の発掘で600枚のシルクの反物が全て炭化したり、出土品が変質したりした。      
       
      
■国と地方の文物収集 :         
国家博物館を増築工事・・・・・・ 2008年北京五輪に完成の予定で、北京の国家博物館が巨大デパート並の大きさへと増築工事に入った ・ 国際化をめざして外国文化の紹介もする ・ 世界の著名博物館と収蔵品を相互に展示する企画展行う ・ 学術機能も強め、国際的な学術交流に力を入れる ・ 巨大博物館の改革・開放が四半世紀遅れで始まろうとしている   
   元は歴史博物館・・・・・・・・ 2003年春、北京の天安門広場の前に新しい看板「中国国家博物館」が掛かった ・ 前共産党中央軍事委主席の江沢民氏が筆をとった ・ 元の名前は「歴史博物館」「革命博物館」であった  
地方の文物に争奪戦・・・・・・・・ 革命・開放前は文物収集は行われていたが、その後は発掘の出土品はほとんどが地方に保管されるようになり、北京の博物館の館内は閑散としている ・ 地方は経済だけでなく、文化イメージをとても大切にするようになってきている ・ 地方同士での争奪戦も行われている ・ 中央への文物収集は昔のようにはもういかない    
   文物入手にオークション・・ 文物入手の一つの方法がオークション ・ 上海で2004年夏に甲骨文(占いの記録のために亀の甲や獣類の骨に刻まれた中国最古の文字・多くは殷墟から出土 ・ 図象的な要素の強い原紙文字で、漢字の原形になる)20片がオークションにかけられ、8400万円で始まって、6億7千万円で落札され注目を集めた ・ 甲骨文の郷、殷墟から関係者が駆けつけたが手が出なかった    
上海特別展に5万人/週・・・・・ 上海博物館で1年前「淳化閣帖・特別展」に1週間で5万人を越える来館者があった ・ 1冊8万円の復刻版が売り切れた ・ 書道家であれば「どんなに金を積んでもほしい」お手本 ・ 49年上海から香港・台湾へ、そして10年前にニューヨークオークションで米国人収蔵家の手に渡っていたものが展示された ・ 収蔵家は中国側の熱意に応えて譲渡を決意、上海の指導者が約5億円で購入した   
   書道の手本の拓本・・・・・・ 「淳化閣帖」は北宋の時代(BC960〜BC1127・後周のあと建国された時代)に、書道のお手本集が作られた。宋の太宋の淳化3年(992年)のことである。これは宋の宮廷に伝わっていた歴代の名筆を模刻して拓本を取り、十巻にまとめて、大臣たちに下賜された。これが「集帖」のはじまりである。(一つの名筆だけの法帖は「単帖」という。)
 この淳化閣帖は大変な人気で、以後、たびたび複製(復刻・翻刻)されることになる。 奈良大学美術講座より   
   古美術が中国へ回帰・・・・ アヘン戦争に始まる中国の近代史は屈辱の歴史であった ・ 海外に流れた文物100万点以上あるが、今それが半世紀を経て還流現象になっている ・ 日本への一方通行であった古美術も逆流現象にあるという ・ 経済発展が生み出す中国のマネー威力である ・ 「保利集団」なる企業が北京に、流出文物回収の博物館を作った   
       
         
■中国最古の王朝は? :     
夏・商・周と最古3代の時代・・・ 8年前、この3代の調査のため学者200人からなる国家プロジェクトができた ・ 4000年とも5000年ともいわれる悠久の中国文明であるが、史記年表は周の時代BC841年までしかさかのぼれない ・ それでは3000年にも届かず、民族のプライドが許さない ・ 夏(か)王朝が存在したかがプロジェクトの焦点テーマである    
   夏王朝の時代はあった・・ プロジェクトの調査結果、BC2070年頃夏の王朝は成立し、BC1600年ごろ商の時代に変ったとされた ・ 中国の歴史は一気に4000年余までさかのぼることになった ・ 夏の時代に二里頭遺跡の宮殿があったとされる ・ 二里頭遺跡から発掘された陶器に夏と読めるような符号があった    
   鄭州郊外に最古の砦・・・・ 二里頭は夏の晩期の都 ・ もっと古いのが昨年発掘された鄭州(じょうしゅう)で発掘された新砦遺跡で、夏の王朝の啓の住いでないかとされる ・ 夏商周の年代を探るプロジェクトは3年前に、「中華文明探源プロジェクト」に引き継がれ、さらにさかのぼる調査が本格始動する。   
商の時代は偃師商城に・・・・・・ 二里頭は焼き払われそこから6Kmも離れていない地、偃師(えんし)商城に都が移された、これが夏から商の時代への移行である 
   商の時代・殷王朝・・・・・ 自称「商」という「殷(いん)王朝」の時代 ・ 「史記」墟本紀などによれば、成湯王が夏(か)のけつ王を滅ぼし、第30代のちゅう王が滅び「周」の時代に変るまでBC16〜BC11まで続いた時代 ・ 首都のあったところは、今の河南省安陽市北西部で、殷時代の遺跡がある ・ 殷墟という 
   商に「酒池肉林」の池・・・・ 偃師商城から発見された大型の池から魚網で使うおもりが見つかった ・ 商の暴君・紂王が「酒池肉林」伝説を間接的に証明する発見となった  
        
        
■故宮再生への大改修 :     
北京観光のおすすめ場所・・・・ 景山公園から眺める故宮の鳥瞰図、夕暮れ時の黄色い瑠璃瓦の屋根が金色に輝き、微妙に変化する絶景である ・ 皇帝のみに使用を許された黄色、栄華と権力を実感させられる ・ その瑠璃瓦が大気汚染などで輝きを失いつつある ・ 近寄るとひびわれし、欄干などは黒ずんできている   
   百年ぶりの大修理へ・・・・・ 「百年大修」が2年前に始まった ・ 2008年までに主要部の修理を終え、故宮600年にあたる2020年に完成の予定    
   キーワード「康乾盛世」・・・ 一度消失した故宮は、康熙・乾隆(中国の清朝第六代皇帝。姓は愛新覚羅、名は弘暦)の時代に完全修復された ・ 強い国家のイメージを復元、壮大かつ調和のとれた故宮を再現したいとの故宮博物館長談   
台湾の故宮博物院も80周年・・ 北京と台北で合同記念行事ができないかと練られている ・ そのひとつが「三希堂展」   
   「三希堂展」・・・・・・・・ 三希堂は乾隆帝が書画を楽しんだ四畳半程度の小さな部屋のこと ・ 王義之の作品「快雪時晴帖」などを展示 ・ 合同展は墨宝3点を一同に集めるもの ・ 故宮博物館長から台湾に伝達されたが、まだ回答はない   
   
   
   中国五千年  (人物)    (PHP研究所出版「中国五千年」より)
    今回の特集は紀元前200年まで : 次回の特集に継続します
■大統一時代 :
BC403年〜BC221年・・・・・・・ 戦国時代 : 春秋時代の後、秦の始皇帝が「中国と統一」を果たすBC221年までを戦国時代と呼ぶ ・ 日本の戦国時代(15〜16世紀)よりも千数百年前のことである ・ 春秋時代の大国・晋が分裂し、韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)の3国が独立し諸侯として認められたBC403年からをいう  
   弱肉強食の200年・・・・・・ この時代は面白い、人類史上もっとも活性化した時代といえる ・ 殷王朝のはじめ千数百もあった小国が、春秋時代には130余りと減少、それが戦国時代になると7つの大国になり連合して戦った ・ 氏族制、奴隷制がくずれ、土地私有制、地主制へと移って行った ・ 春秋時代の城濮(じょうぼく)の戦い(晋と楚の戦い)が有名だがこれは参加兵力2〜3万人で1日でけりがついた ・ ところが戦国時代の秦と趙による長平の戦いになると100万人で数ヶ月にもなる戦いとなった ・ 邯鄲(かんたん)の戦いでは3年にもなった  
   諸子百家・百家争鳴・・・・・ 政治、文化、思想、社会などあらゆる面でおおきな変革の時代でもあった ・ 自由に諸国を訪問し、王にも謁見して大臣などになることの夢を見た ・ その先駆者は孔子であり、教育が貴族のものであったのを士や庶民のレベルまで広げた ・ 孔子の儒教は原始儒教と呼ばれるが、それから派生してさまざまな学派が生まれた ・ 儒家・墨家・道家・名家〜〜 
   戦国時代の人物・・・・・・・・ 呂不韋(始皇帝の本当の父親との説もある) ・ 戦国時代の君子 ・ 呉起(孫子とならぶ兵法家であり、兵法書「呉子」の著者といわれる)  ・ 兵法書「武経七書」  ・ 孫ぴん(孫子の著者孫武の末裔で、同じく兵法家)  ・ 秦の始皇帝  ・  中国の人物史一覧    
         思想家・・・・・・・・ 孟子(儒家の中で孔子と並ぶ重要な人物)   ・ 荘子(道家)  ・ 墨テキ(墨家)  ・ 荀子(孔子にはじまる儒家のひとり)  ・ 韓非子(荀子の思想を先鋭化させ、儒家と対立した)  ・ 孔子・老子(春秋時代:前回の特集)  ・ 屈原(くつげん・中国最初の大詩人)