エジプトの歴史2(メンフィス・テーベ・アレキサンドリア) 
                ( Wikipediaなどより )

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メンフィス   テーベ ・ アレキサンドリア
古王国時代最初の都
メンフィスとルクソールの
  古代名、通称名、現在名
 . 概要
歴史
観光
 . 王家の谷
神殿、葬祭殿、博物館
クレオパトラ解説
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  メンフィス    (Wikipediaより)  
■歴史 :          
首都の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・ エジプト古王国時代の最初の都であり、初期の名前はIneb Hedj("白い壁")と呼ばれた ・ エジイプと中王国時代には首都はテーベに移った ・ そして新王国時代に宗教改革を行ったアメンホテブ4世のとき一時的に首都が置かれたところである     
   古代名と現在名・・・・・・・・・・・
都市名 メンフィス テーベ
古代名 メンネフェルなど ウアセト
現在名 ミト=ラヒーナ ルクソール
通称 白い壁(インブゥ・ヘジ) 百の門の街
主神 ブタハ アメン
      
       
■主な遺跡 :         
   ピラミッド・・・・・・・・・・・・・・・・・ カイロの対岸ギザとメンフィス一帯ピラミッド地域で、世界遺産になっている     
   ラムセス2世の石像・・・・・・・・ ラムセス2世(BC1314〜BC1212年)は第19王朝のファラオ(BC1290〜BC1224年)で、エジプトがリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸ばし繁栄させた ・ 24歳で即位し66年間統治、王妃や側室の間に111人の息子と69人の娘をもうけたと伝えられる ・ しかしこの大半は養子であり、王の息子との称号を与えられただけという説もある ・ 治世の前半期はヒッタイトとパレスチナとの勢力争いであった ・ ヒッタイトとの勝負はつかず平和条約が交わされた(世界最初の平和条約といわれ、ラムセス2世はヒッタイトの王妃を迎入れた) ・ カイロの考古学博物館にはラムセス2世のミイラがある(参照ホームページ) 
   ラムセス2世のスフィンクス 白色の鉱石でできた小型のスフィンクスがある        
        
  ルクソール(テーベ)    (Wikipediaより)          
               
■概要 :             
ナイル東岸と西岸(王家の谷他)・ 古代エジプトの首都テーベがあった場所 ・ 地中海から800Km南方へナイルを南下、登ったところに位置する ・ ナイル川の東西にまたがっている ・ 日が昇る東側には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物があり、日が沈むナイルの西側には、死を象徴する王家の谷や王妃の谷がある   
   ツタンカーメンの墓・・・・・・・・ 王家の谷にあるツタンカーメンの墓は有名 ・ ツタンカーメンはBC1342年誕生、19歳没のファラオである ・ ツタンカーメンの王墓は1922年イギリスの考古学者により発掘されたが、黄金のマスクをはじめとし、副葬品がほぼ完全な形で出土した ・ 副葬品の大半はカイロの考古学博物館に収蔵されている ・ ツタンカーメンの死因については諸説があるが、変形した背骨、欠損した足の指、臓器疾患の跡などが確認されており、足と大腿骨の骨折で弱り、マラリアを患ったのではとの見方が有力である ・ 近親交配で生まれたことにより、体が弱く先天的な疾患を多くもっていたようである  
世界文化遺産・・・・・・・・・・・・・・・・ 古代都市テーベとその墓地遺跡が世界文化遺産として登録されている       
              
■歴史(テーベ) :           
長きにわたり首都として栄えた・・・ 現地ではこの地をワセトと呼んでいたにが、「東岸:タ・アベト」の発音が古都「テーバイ」に似ているとのことで「テーベ」と名づけられたという ・ 古代エジプトの王都はメンフィス置かれることが多かったが、中王国時代の第11王朝から新王国の第18王朝までテーベがエジプトの都とされた ・ その後第19王朝でデルタに遷都されたが、アメン信仰の総本山である神殿を中心として、重要な宗教都市として地位を保ち続けた  
エジプトの奈良、京都、東京・・・・・ メンフィスは古代最初の都市で奈良といったところ ・ メンフィス周辺の都市リオポリスなどにも遷都され ・ ヘリオポリスは太陽神ラーを祀り、太陽の都として雅やかな文化を発展させたので京都といったところ ・ その後テーベに長いこと首都が移った(東京といったところ) 
       
■観光地 :          
ナイル川西岸
   王家の谷・・・・・・・・・・・・・・・・ 古代エジプトの新王国時代の王の墓が多数ある ・ 24の王墓を含む64の墓が発見されている ・ 多くの墓は盗掘されたが、ツタンカーメンの墓は未盗掘で、副葬品が完全な形で発見された(1922年) ・ ツタンカーメンの墓、トトメス1世、トトメス2世の墓、ラムセス1世〜3世の墓なども含まれている           
   王妃の谷・・・・・・・・・・・・・・・・ ラムセス2世の王妃ネフェルタリが眠っている墓がある ・ 墓内部の壁画が古代エジプトの中でも最も美しいといわれている ・ 王妃と神々を描いた壁画の大部分は、来世に復活するため「死者の書」からとられたものとのこと      
   ハトシェプスト女王葬祭殿・・ 古代エジプト唯一の女性ファラオ、ハトシェプストの葬祭殿 ・ 後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊されてしまっている    
   ラムセス2世3世葬祭殿・・・ ラムセス2世の葬祭殿(通称:ラムセウム) ・ ラムセス3世の葬祭殿(通称:メディネト・ハブ)          
   メムノンの巨像・・・・・・・・・・・・ アメンホテブ3世の巨像(高さ約18m)が2体ある ・ 元々は後方に葬祭殿があったのだが、第18王朝メルエンプタハが自分の葬祭殿をつくりの石材調達のため破壊してしまった              
ナイル東岸
   ルクソール神殿・・・・・・・・・・・ エジプト第18王朝ファラオ・アメンホテブ3世によって建立された神殿 ・ カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属の神殿として造られた ・ アメン大神殿の入り口にはラムセス2世の坐像と、その手前に2本のオベリスク(先が尖がった角柱)があったが、オベリスクの右側の1本はパリに運ばれ、現在コンコルド広場の中央にある 
   カルナック神殿・・・・・・・・・・・ 第18、19王朝を中心とした長い期間の歴代の王が造ってきた ・ 第一塔門から第十塔門まで神殿がのびており、南に3Km離れたところにルクソール神殿がある ・ ルクソール神殿からスフィンクスが両側に並ぶ参道があり、カルナック神殿につながっている        
   ルクソール博物館・・・・・・・・・ 1975年に造られた博物館  ・ 古都テーベの繁栄した中王国時代から新王国時代の王像や神像、壁画、石碑などの美術品を数多く見ることができる
   ミイラ博物館・・・・・・・・・・・・・・ 2時〜4時休憩時間 ・ 夜には説明員がつく            
                
                
  アレキサンドリア    (Wikipediaより)
■概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カイロに次ぐエジプト第2の都市 ・ マケドニア王アレクサンドロス大王が遠征してきて、オリエント各地の自分の名を冠して建設したギリシャ風の都市 ・ 「地中海の真珠」とも呼ばれる ・ 英語看板も多く外人客もおおり港町 ・ 国際機関もおかれ、欧米的な雰囲気、国際観光も多々ある商業都市である
■歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス王朝の首都として発展した ・ プトレマイオス王朝最後の女王がクレオパトラ7世(在位BC51〜BC30) ・ 美貌・教養・機知をもち、ローマの有力者を手玉に取った ・ カエサルがエジプトに進軍し(BC48)、アレキサンドリアに入城すると、クレオパトラはカエサルに取り入って愛人となり、王位を回復させる ・ その後クレオパトラはローマに住み、カエサルの子どもをもうける ・ BC44カエサルが暗殺され、クレオパトラはエジプトへ戻る ・ カエサル暗殺者を仕打ちしたアントニウスと結婚、2子をもうける ・ BC31年アクティウムの戦いで敗北 ・ BC30クレオパトラ、アントニウス自殺   
■観光・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アレキサンドリア国立博物館 ・ ボンベイの柱 ・ カタコンベ ・ カーイトゥベーイの要塞