武士道の品格、教養人の品格 ・ 江戸時代の町人のしぐさ 
        
                  ( 越川礼子著、日経ビジネス文庫「江戸の繁盛しぐさ」 より 

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武士、横綱、教養人の品格 江戸時代の町人のしぐさ
大相撲での品格
芸人が持つべき品格
教養人が持つべき品格
 . 江戸のしぐさは生きている
江戸のしぐさの本質と伝承
 しぐさが出来て江戸っ子
 . 江戸のしぐさのかたち
 言葉づかい、お付き合い
 往来のしぐさ、リンク集
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  武士道、横綱、教養人の品格     
■「武士道」 と 「品格」 :  「武士道の品格」 より
忠誠心、孝行、慈愛〜〜・・・・・・・ 武士道(ぶしどう)とは、近世日本の武士が従うべきとされた規範をさす ・ 通常の概念では、“君に忠、親に孝、自らを節すること厳しくし、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす”という態度であるとされることが多い ・ またさらにこれに、常在戦場を以て心構えとした武士の意識を重視して、日本特有の「死の美学」を付けくわえることもある ・ 1900年に新渡戸稲造著の『武士道』は、諸外国に向けて日本人の「倫理観」を示した名著である    
大相撲での品格・・・・・・・・・・・・・・ 亀田大毅選手と横綱朝青龍の謝罪会見があったが、特に朝青龍の場合は横綱の品格が問われた ・ 横綱の品格とは、という話で、品格議論の前に相撲の歴史を見ておきたい ・ 元々相撲は日本では、日本書紀等に記録が残っており、聖武天皇は、全国から相撲人を集め七夕の儀式の日に天覧相撲を行ったという ・ 平安時代では、相撲は重要な宮中儀式であった ・ その後相撲は神事としてまた、武道の一つとして奨励された ・ 江戸時代中期に強く神道の影響を受けたが、明治の文明開化で相撲も危機に瀕し、1884年(明治17年)の天覧相撲で社会的地位を復帰させた    
   芸は時代とともに変化・・・・・ このように大相撲の歴史をたどると、いろいろと変化し続けたことがわかる ・ 実は伝統芸能の中で、多くの伝統芸能が社会の体制の変化にあわせて影響を受け、考え方、品格なども変化していったと思われる (歌舞伎・人形浄瑠璃や落語も歴史的に変化している。)       
     芸での品格も変化・・・・・・ ところでこうした伝統芸能も含め品格と言う言葉はよく使われる ・ 品格とは、辞書によると品位 気品とあり、品位とは人に自然と備わっている心の高さ、とある ・ 品格の基本の品とは外から見て評価であろう ・ 評価となると他人が評価する為その社会の最大公約数の価値観ということになる ・ 従って品格の基準も社会の価値観が変われば変わる物だと考えられる            
     熟成社会があって品格・・ 社会の価値観は前提としっかりとした社会構造があるかどうかが前提で、人間社会では市民社会や村落や職域等の生活集団としての地域社会や職域の存在が、前提となる ・ 組織が未熟な段階では、品格とかの評価は成立しにくい ・ 確りとした組織ができると、それを維持するためにも、その構成者には品格が求められる  
     相撲社会も品格を求む・・ 相撲社会もある程度組織が安定し、組織の興行や実施内容に関し見方や作法が定着し、組織の表現に対して内部の物(組織及び構成員)と他者(ファン・ひいき)の間で、共通の価値観や規範意識が定着してきていると思われる ・ そうあるべく求められていよう ・ そこで横綱の品格は、定着した価値観を基準にして理想とする価値観に向かって組織なり個人が行動し他者が評価する時に、実演・実行者(横綱)が価値観に対し高い志に向かおうと努力し達成している時に、高い品格と評価されるのであろうと考える     
           
■教養人がもつべき品格 :       ( 「品格ある教養人」より )         
現代社会における教養とは・・・・・ 村上陽一郎先生(国際基督教大学)の講義より  ・ 「教養」とは、その時代・社会との相互作用の中で浮かび上がってくる「人間はかくあれ」という基軸のようなもの ・ 時代によって、進歩によって変わってくる ・ 「グローバリズムの本質は多極化・多様化である」、多極化・多様化の時代だからこそ、「品格」が求められる ・ 自分の意見を明確に持ちつつも、それを相対化し、異なる価値観の中で統合できること、それこそが現代の教養である ・ 現代の教養人としては、つぎの3つが必要あるとしている      
   @ リテラシー・・・・・・・・・・・・ 原子力やクローン技術、臓器移植の是非を主催者とし正しく判断するために必要な能力
   A 社会リテラシー ・・・・・・ 専門知識や技術を誤った目的に使わないために、必須の素養、能力をもつこと       
   B 品格 ・・・・・・・・・・・・・・・ 教養者において最も重要なものは、品格である ・ つぎの6つの概念を総称するものである 
 ・多面的に考えること
 ・自分の立場を相対化すること
 ・自分の意見を伝えられること
 ・絶対否定、絶対肯定をしないこと
 ・カウンターバランスをとること
 ・規矩(きく)=自分の基準をもつこと      
           
           
  江戸の町人の品格(しぐさ)    (越川礼子著・日経ビジネス文庫「江戸の繁盛しぐさ」より)       
           
■江戸のしぐさは生きている :         
共生の哲学から江戸のしぐさ・・・・ 江戸時代の庶民に「共生」は至極当たり前のことのようであった ・ 「共倒れ」にならないために「江戸のしぐさ」というものが根付いていった ・ 「江戸のしぐさ」は江戸の町で皆が円満に共生するための考え方、身のこなしでった       
   現代高齢化社会のお手本・・ 「江戸のしぐさ」は、退職後退屈を持て余している老人達に、人間としてのプライドをもち、年齢に左右されず目的や責任を共有する生き方、特に赤の他人でも助け合っていく生き方を教えてくれる ・ 町衆の賢者たちは、皆が仲良く平和に生きるため、物理的精神的いざこざを少なくするよう、心得を説き、言葉づかい、しぐさ、付き合い方などにさまざまな工夫を凝らしてくれていた       
江戸は商人達が支えた豊かな町        
   士農工商でも金持ちは商人・ 太平の続いた江戸の町では、武士の力は衰え、農業は地方へで、町では工業を商業が盛んになっていた ・ 工業は鉄砲や刀の代わりに箪笥の金具、おみこし、煙草入れなど商品づくりに変貌し、商業が盛んに行われた ・ 江戸の人口は江戸時代中期には100万人を超え、武士と町方の割合は半々になっていた ・ 町方の大半は商業従事者であり、その経済力は武家社会を圧倒していたといわれる     
     江戸商人のしぐさ八訓・・・ @ まず朝は召使より早く起きよ
A 十両の客より百文の客を大切にせよ
B 返品客には購入客より丁寧に対応を
C 繁盛するに従って益々倹約をせよ
D 小遣いは一文よりしるせ
E 開店の時刻を間違えなく
F 同商売が近くにできたら懇意を厚く
G 小売店をつくったら3年は食料を送れ       
   町衆は刻を共有し合った・・・ 江戸の町衆は一期一会の精神をもって「お互いに今日を大切にして楽しくしよう」として暮らした ・ 初対面の場合でもこの考え方は実行された ・ 「目の前の人は仏の化身」という言い方もあった    
     しぐさが出来て江戸っ子・ 江戸ではしぐさを見て江戸っ子かどうかを判断した ・ 生まれが地方でもしぐさが良ければ江戸っ子として通った ・ 江戸っ子の見分け方の最大公約数は
@ 目の前の人を仏の化身と思える
A 時泥棒をしない(相手に迷惑をかけない)
B 肩書きを気にしない
C 遊び心をもっている   
   意気を以って江戸っ子示す・ 江戸のイキ(意気)の語源は、京都のスイ(粋)に対して江戸の威勢を示す意気込みから出ている ・ 幼児が熱いものを口にしたとき「熱い!」と云えばイキの祝い(ひとり立ちの祝い)をした(いつまでもフウフウ冷まして与えない、甘やかしをしない) ・ 二人以上での気を合わせる(息が合う・意気が合う)も、町衆の中に出掛けて行ってなんとか纏めようとするも、江戸っ子の心意気でつながった ・ 芸能界で使われる夕方会っても「おはようございます」の挨拶も、「イキイキしています」との「生き」を示すもの   
           
■江戸のしぐさの本質と伝承 :          
一流の商人の条件(しぐさ)・・・・・ 「江戸のしぐさ」が「商人のしぐさ」とも「繁盛のしぐさ」とも言われるが、それは進取の気性に富み、とても合理的で、しかも実際的なのが特徴である ・ お客様が見えたら、何も言わないで「あいさつをする」「気付き」「気働き」の行動ができることが基本であるという ・ 江戸のしぐさは、しなやかで、したたかな「商人(あきんど)しぐさ」なのである ・ 最初の目安として、つぎのことがいわれてきた    
   江戸のしぐさの目安・・・・・・・ @ 初物を愛で、ご祝儀相場をつける
A 調子に乗りすぎても声援をする
B 新人、新顔を歓迎する
C 新しいものに好奇心を向け、真っ先に取り組む
D ものごとを陽に解釈する       
江戸のしぐさの手ほどき・・・・・・・・ 「江戸は一夕一朝にしてならず」で寺子屋で学んだ       
   知識の多寡より思いやり・・・ こども達を大事にされ、こども達への思いやりをこども達の養育、しつけの基本としていた ・ こどものない人も江戸の町を思い、いくばくかのお金を出したという ・ 師匠は親の代理人とわきまえ、徒弟に「父母はいろいろと忙しいので父母の代わりに私が教えます」と、父母を思っての自己紹介をまずしたという     
   師匠は人格陶治に尽力・・・・ 学ぶ内容は実学が中心となった ・ 必要最小限の「読み、書き、算盤」と、「見る、聞く、話す」に重点をおいた ・ 実学とのバランスも考え、例えば習字のとき、「働く」は人が動くから働くとなる、また「はた(端:他人)」を「楽にさせる」ことだとも教えた ・ ご老体の前では大きな字を書くようにも教えた    
   お世辞が言えて一人前・・・・ 寺子屋では年齢的に段階を追って課題が与えられた ・ 「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、文十二、理(ことわり)十五で末決まる」との諺がある ・ 江戸では「人にお世辞が言えたら一人前」とされ、人に出会ったらまずは挨拶のあと、何か一言しゃべるのが当然とされていた    
           
■江戸のしぐさのかたち :          
言葉づかい・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「江戸のしぐさ」はきちんとした言葉づかいから始まる ・ 常に相手に対する尊敬の念を忘れず、一言、一言、気配りのある表現をすることがたしなみとされた      
   あいすみませんと丁寧に・・・ 「澄みません」と書くが、前の人を仏のように思い、「澄んだ気持ちになっていただけず」すみませんとの意味で、丁寧な詫びる言葉になる       
   忙しいは禁句・・・・・・・・・・・・・ 忙しいという字は、漢字の偏と作りから「心を滅ぼす」という意味である ・ 江戸では心を失った人はでくの坊といわれ、忙しいというのは禁句であった ・ こころを大事にすることであり、忙しいといってことわられると、顔色を変えて怒ったともいうことである    
   「ウッソー・ホントー」は禁句・ 相手は自分より博学と考えるのが礼儀であり、「知ってますか?」とか「太られましたね」とかは禁句であった ・ 依って今若い女性がよく使っている「ウッソー」とか「ホントー」はさしずめ禁句になったことであろう      
   「です」と「ようです」・・・・・・・・ 人の言葉を自分の意見としていうのは恥であった ・ 聞いたりしたことは「ようです」「そうです」というのが普通で、江戸の言葉は丁寧が基本、「でございましたそうでございます」というような言い方が昭和十年頃まで残っていたという     
   「初めまして」は使わない・・・ 初めましては他人行儀的、先祖は大の仲良しであったろうから「初めまして」を使うのはご先祖様に申し訳ない ・ 英語の「How do you do」と「How are you」を使い分けるのと同じである     
   「へ」と「に」・・・・・・・・・・・・・・・ 「〜へ」は方向を表し、「〜に」は場所を表す ・ 従って「学校に行ってきます」となれば「頑張っていらっしゃい」と返答になるが、「学校へ行ってきます」となれば「何をしに」との回答になる ・ 江戸のしぐさでは、助詞に至るまで正しく使い分けた    
   「べらんめえ」は非町人言葉 「こちとらは江戸っ子だい」などとの講談もりの石松の言葉があるが、本来このような言葉は、江戸の町衆のなかではありえなかった ・ べらんめえ口調は下品とされた     
   「行き先は聞かぬ」・・・・・・・・ 江戸では人に行き先を聞くのは失礼とされた ・ 「お出かけで(ございますか)?」と短く、敬意を込めていうのが慣わしであった      
  
お付き合い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 封建時代といわれる江戸時代 ・ しかし町衆たちは見知らぬ人も仏の化身と考え、対等に付き合うよう考えた ・ 礼儀正しくプライバシーを侵さず、よい市民生活が定着していた   
   脚組みのしぐさ・・・・・・・・・・・ 人にあっているとき、特に目上の人に会っているとき脚を組むのは失礼にあたる ・ 脚を組むと背骨も曲がるので、マナーだけでなく医学的にもよくはない      
   腕組みのしぐさ・・・・・・・・・・・ これもお客をよせつけないしぐさになる ・ もっとにこやかに手を広げてお客を迎えるしぐさが大切である   
   女、男しぐさ・・・・・・・・・・・・・・ 女性はつつましく、男性は思慮深くが江戸のしぐさで、履物を脱ぐ場合、女性は上がりかまちの近いところで、男性は遠く2列置いたところでもまたげるので遠くにおいた ・ 江戸のしぐさはレディーファーストでないが、女房自慢がはなやんだ   
   喧嘩のしぐさ・・・・・・・・・・・・・ 喧嘩にもルールがあった ・ @手を出す前に何度も相手に警告を出すこと ・ A殴るにしても肩から上には手を出さない ・ B周囲の人は、決着がついたと思ったら、仲裁をすること などである ・ ルールがあれば、殺人を起こさないはずなのだが
   魚屋のしぐさ・・・・・・・・・・・・・ 魚屋にとって包丁は必要不可欠な道具 ・ しかしこどもの前では使わないようにしていた ・ 真似をして怪我をしたら困るからだ ・ そのような配慮は現代社会でもいろいろな場面であるが、注意深くありたいものである 
   商家は女次第・・・・・・・・・・・・ 「農家は男次第、商家は女次第」といわれた ・ 商売には女性の助言、マネージメントが有効であった    
   「少々」でなく「〜頃に」・・・・・ 約束事やお待たせをする場合、「少々お待ちください」ではなく「5分ほどお待ちください」とはっきりと具体的数字で示すようにする ・ 出来ること、出来ないことをはっきりと示すことが江戸の心得であった     
   年代のしぐさ・・・・・・・・・・・・・ 志学(15歳)、弱冠(20歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)などを見取り合って優雅に暮らした ・ 耳順(還暦)代の江戸のしぐさは「畳の上で死にたいと思ってはならぬ」、「息絶え絶えありさまで他人を勇気付けよ」、「若衆を笑わせるよう心がけよ」であった     
   夜明けの行灯・・・・・・・・・・・・ 夫婦、親子の間で意に添わぬことがあったら、決定的な亀裂が生じないよう、時間をおけとの言い伝え ・ 夜明けの行灯はあってもなくてもよい存在のもの ・ 今腹が立っていても時間がたてば冷静になるとの知恵   
   三代住んで江戸っ子の資格 視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感以外に、直感的に感じる大切な第六感がある ・ 鋭敏に第六感が働かないと江戸では生きられないといわれた ・ 三代住んで江戸っ子の資格がとれるともされた   
           
往来しぐさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 士農工商制度があった封建時代では、道で土下座などがされていたが、江戸の街では交通渋滞にもなるので土下座なくすれ違う行為が許された ・ 江戸では道路は江戸城に続く廊下と考え、ゴミを捨てたり、ツバをはくなどはとんでもないことであった ・ 歩きながらタバコをすうこともなかった   
   うかつあやまり・・・・・・・・・・・・ 人ごみで足を踏まれたとき、踏んだ方は言うまでもないが、踏まれた方も「うっかりしてまして」と謝るのが江戸のしぐさ ・ 西欧では「わたしの足が大きいから踏まれたのだ」というユーモラスな表現もあるが、喧嘩にならぬよう気持ちを持っておくこと大切である ・ 江戸の街では非常に速く走ることは禁じられていた    
   駕籠とめしぐさ・・・・・・・・・・・・ 地方から江戸に出て一財産をなした人は、駕籠にのれることを励みとした ・ この駕籠にのるとき、ふんぞり返ってのることはやめ、人様にあうときでも謙虚に応対しなければならないとのしぐさがある ・ それへの言葉 
   七三あるきのしぐさ・・・・・・・・ 道路の七分を公道とし、自分の道は三分と考えてあるけとのしぐさ ・ 救急のひととすれ違いのときに邪魔にならない、予めの心得     
           
■リンク集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ NPO法人「江戸のしぐさ」 ・ Wikipedia「江戸のしぐさは生活の哲学」 ・ 江戸のしぐさの授業