■世界四大文明 : |
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世界四大文明・・・・・・・・・・・・・・・・ |
「エジプトはナイル川の賜物」といわれるほどに、豊かなナイル川のデルタ地帯に支えられて、世界四大文明の一つである古代エジプト文明が発展した ・ エジプト文明の説明にあたり、世界四大文明について概略触れておく ・ ヨーロッパ文明のもとになった古代オリエント文明は、エジプトとメソポタミアの二つの文明である |
メソポタミア文明・・・・・・・・・・・・・・・ |
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現在のイラクにあたるチグリス・ユーフラテス川の沖積平野に開けた世界最古の文明で、BC6500年ごろにいくつかの集落ができ発展した ・ メソポタミアは二つの川の間という意味で、これらはチグリス川とユーフラテス川で、アラビアンナイトの舞台になった地方です ・ トルコを源流とするこの二つの大河は肥沃な土壌を下流へと押し流し、耕作のできる沖積層のデルタ地帯をつくっている ・ アッシリアに代表される巨大国家が起こったのは、二つの河が接近する北部メソポタミア地域である ・ BC4800年頃には土器が、BC4000年頃の石器が、BC3300年頃には絵文字などがあったことが発掘により分かっている ・ アッシリア王国など数々の王朝が栄えますが、BC562年新バビロニア王国の滅亡をもって、メソポタミアの歴史は一応終焉する |
メソポタミアは数多くの文明が栄えた土地であり、また数多くの文明によって征服されもした ・ それらの諸文明の中には、シュメール、バビロニア、アッシリア、アッカド、エジプトなどの王国があったとされる |
インダス文明・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
インダス文明はBC2600〜BC1800年頃栄えたインドの文明 ・ 今のインドだけではなく、パキスタン・バングラデッシュ・ネパール・スリランカなどを含めたヒマラヤ山脈以南の部分がインドであって、インダス川の中流から下流にかけての地域でこの文明が開いた ・ ただし、この地方ではBC7000年頃から農耕は行われており、文明開化となったのはBC2600年頃と見られる ・ インダス文明の特徴は都市計画があって建設されていっており、上下水道が完備されていたり、ダスターシュートが住宅にあったりもした ・ 焼きレンガの家が碁盤の目のような道路に並んであった ・ 古代の都市国家の多くは中央に神殿があるものだが、インダス文明都市では中央に浴場があった ・ 浴場といっても、新年に若者が海へ飛び込むがごとく、ここで身体を清めたのであろうと見られている ・ インダス文明の次なる特徴は、灌漑農耕で青銅器をつかっており、メソポタミア地方と交易をしていた模様 ・ 文字はインダス文字という印章がのこっている ・ インドでは牛が神聖な生き物であるが、既にこの頃からその文字に牛の絵が入っている ・ 1800年頃にインダス文明は滅ぶが、ヨーロッパ語族のアーリア人がアジアから南下し侵入してきている ・ その後アーリア人の一部は西へと進み、ペルシャ人になります ・ 東に進んだアーリア人はインドへ定住して行きます ・ インダス文明を作った先住民はオーストラリアやニューギニアの先住民ドラビタ人であったであろうと見られる |
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黄河文明・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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黄河文明の誕生はBC5000年頃(7000年説もある) ・ 特徴は土器で、メソポタミア文明の彩陶とよく似ているので、何らかの影響があったのではと見られている ・ 後半の土器は黒陶で薄手でしっかりと固い、高度になっている(火を炊いたとみられる3本脚の釜などがある) ・ 黄河文明が発展し黄河中流にたくさんの都市ができました ・ 下流域は洪水の危険性があって都市化していません ・ 夏王朝がBC2000年ごろに定かでないができたとみられ、殷の王朝がBC1700年ごろにできこの殷からが確実に考古学上証明されています ・ 殷の末期BC1000年頃には2000もの国ができて、春秋時代200ほどの国となり、これが戦国時代十数国となって、最後にBC221年秦1国に統一される |
中国の時代の凡その流れは:殷→周→春秋戦国→泰→前漢→新→後漢→三国→晋→南北朝→隋→唐→五代→宋→元→明→清→中華民国→中華人民共和国
最初の殷、周への文化の流れに待ったをかけたのが長江文明ともいいますが、長江の発掘が遅れており、長江文明の起源は定かでありません ・ 古代文明は大河によって興っており、黄河よりも大きな長江が遅れることはなかろうとのことで、長江と黄河を組にして中国文明とすること、世界四大文明という言い方も、その他発掘がすすむにつれ適切でないことあって、それらの見直し意見が広がっています ・ なお、メキシコ南東部、グァテマラのマヤ文明はAD300頃開化となっています |
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■エジプト文明 : |
エジプト文明の起源・・・・・・・・・・・ |
エジプトではBC5000年頃に農耕が始まっています ・ BC2700年頃に統一王朝が成立 ・ メソポタミア王朝のような民族侵入、王朝の興亡はなく、独特の文化を築いていくことができました |
エジプト文明はナイルの賜物 |
エジプト文明はナイル川沿岸の肥沃な土壌によって農業が可能となり開花して行きました ・ エジプトはナイルの川沿いは緑ができるが、少し外れると砂漠になっています ・ エジプト文明を作った人たちはアラブ民族のひとつ、ハム系の人 |
洪水時期から太陽暦・・・・ |
ナイルは1000キロ上流のエチオピアの高原に降るモンスーンによって毎年決まった時期に増水する ・ エジプト人はその増水が最大の関心事であり、それに向けて農耕の準備をした ・ 7月半ば明け方の東の地平線ぎりぎりにシリウスがひときわ輝き、365日目その時にナイルが増水することが分かってきて太陽暦をこしらえた ・ この暦が古代ローマ帝国からヨーロッパへと伝わった |
1日24時間もエジプト発・・ |
1日を24時間にしたのもエジプトだといわれている ・ 昼と夜の時間をそれぞれ10時間、計1日20時間にしたが、その後昼と夜の間に2時間づつ加え、1日を24時間としたとの説が有力である |
暦の次に測量技術が発達 |
洪水が引いた後、土地の境界線が分からなくなってしまうので、農民達は測量技術を進歩させた ・ そして独特の神聖文字と呼ばれている絵文字を発達させた ・ またこの他にも神官文字、民衆文字という字体もできていった |
古代エジプト史の流れ・・・・・・・・・・ |
古代エジプトは、大きくは三つの時代に分けられます
古王国(BC2700〜BC2200) ・ 中王国(BC2100〜BC1700) ・ 新王国(BC1600〜BC1100) |
古王国時代 (〜BC2200)・・ |
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古王国(BC2700〜)の都はメンフィスにあった ・ 古王国の時代にピラミッドが作られた ・ 最大のピラミッドクフ王のピラミッドをはじめ、多くのピラミッドはこの時代のもの ・ エジプトの国王のことをファラオというが、ピラミッドにはファラオのミイラなどが発見されていないので、これは墓ではない日本でいう神殿の部類ではないかとみられる
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クフ王のピラミッドにはまだ発見されていない部屋があり、早稲田大学の吉村教授も音波探知機などで調査にあたっている ・ ピラミッドの建設は農閑期の農民があたったらしい ・ ナイル川の増水などでの農閑期の農民達が集まったもので、奴隷達によって作られたものではない
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メンフィスはカイロの南方27キロのナイル西岸にある ・ メンフィスの墓地遺跡とギザのピラミッドとの地帯で1979年に世界遺産登録がされた ・ エジプト古王国期の統一王朝最初の都であり、初期の都市名は「白い壁」といわれた ・ メンフィスという名前は、第6王朝のファラオの名前をギリシャ語読みにしたものである ・ 中王国時代には都はテーベに移り、新王国時代に一時期メンフィスに戻ったが、間もなくテーベに遷都された |
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年代 |
時代区分 |
王朝
区分 |
首都 |
ファラオ |
事柄 |
中国の
時代区分 |
BC3000〜 |
初期王朝時代 |
1 |
メンフィス |
ナルメル・アハ・ジェル・ジェット・デン |
最古の紙を使用 |
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2 |
ベルブセン・カーセケム・カーセケムイ |
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BC2650〜 |
古王国時代 |
3 |
ジェセル(階段ピラミッド)・セケムケト・フニ |
最古のピラミッド |
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BC2610〜 |
4 |
スネフル
クフ・カフラー・メンカウラー(ギザのピラミッド)
ジェブセフカフ |
巨大ピラミッド |
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BC2490〜 |
5 |
ウセルカフ・サフラー・ネフェルイルカーラー
ニウセルラー・ウナス |
泥の小ピラミッド |
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BC2310〜 |
6 |
テティー・ベビ1世・メルエンラー・ベビ2世 |
ピラミッド続く |
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BC2180〜 |
第1中間期 |
7 |
短い治世で数多くの王が誕生 |
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8 |
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9 |
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10 |
ヘラクレオ |
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BC2040〜 |
中王国時代 |
11 |
テーベ |
メンチュヘテブ2世・メンチュヘテブ3世 |
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BC1990〜 |
12 |
イティ |
アメンエムハト1〜4世・センウセルト1〜3世 |
ピラミッド造営 |
夏 |
BC1785〜 |
第2中間期 |
13 |
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14 |
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15 |
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16 |
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17 |
テーベ |
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BC1565〜 |
新王国時代 |
18 |
テーベ |
イアフメス・アメンヘテブ1〜3・トトメス1〜3 |
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アマルナ |
アメンヘテブ4世 |
ルクソール
王家の谷に
墓が作られる |
殷 |
BC1342〜 |
メンフィス |
ツタンカーメン・アイ・ホムエムヘブ |
BC1310〜 |
19 |
ベル・ラメセス |
ラメセス3〜11世 |
BC1070〜 |
第3中間期 |
20 |
タニス |
スメンデス・ブスセンネス |
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西周 |
BC945〜 |
21 |
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シェションク・オソルコン |
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BC700〜 |
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22 |
テーベ |
ピアンキ・シャバカ・タハルカ |
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春秋 |
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23 |
サイス |
プサメティコス1〜2・ネコ2世・アマシス |
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24 |
サイス付近 |
カンビュセス・ダリウス・ネクタネボ・アレクサンドロス |
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BC305〜 |
プトレマイオス
朝 (中世) |
25 |
アレキ
サンドリア |
プトレマイオス1〜5世 |
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戦国 |
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26 |
クレオパトラ7世 |
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中王国時代 (〜BC1700)・ |
中央国時代は首都をナイル上流のテーベにおいたが、アジア系民族ヒクソスの侵入された ・ ルクソールはアラビア語、テーベはギリシャで古都「テーバイ」になぞらえたもの ・ 中王国の第11王朝から新王国の第18王朝までの間、テーベがエジプトの都 |
新王国時代 (BC1565〜)・ |
太陽神アメンを崇めるアメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心とした宗教都市ができた ・ アメン
は、テーベ地方の大気の守護神、豊饒神で、エジプト最大の神殿であるカルナック神殿に祀られた ・ アメンヘテプ4世のときアメン信仰は全盛期を迎える ・ しかし神官団がファラオをも凌いだ ・ ツタンカーメン王の時代には、もとのアメン信仰に戻った ・ テーベはナイル川によって東西に分断されており、ナイルの東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿、アメン神殿などが、西岸にはツタンカーメン王の墓をはじめ60以上の王墓がある |
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■リンク集 : |
メソポタミア文明・・・・・・・・・・ |
世界史講義録(メソポタミア文明) ・ メソポタミア文明(Wiki) |
インダス文明・・・・・・・・・・・・・ |
世界史講義録(インダス文明) ・ インダス文明(Wikipedia) |
黄河文明・・・・・・・・・・・・・・・・ |
世界史講義録(黄河文明) ・ 黄河文明(Wikipedia) |
エジプト文明・・・・・・・・・・・・・ |
世界史講義録(エジプト文明) ・ エジプト文明(Wiki) ・ トルコの歴史(6月の2回目用) |